カーネルサンダースの生き方・名言から学ぶ

カーネル・サンダース 名言 学ぶ

カーネル・サンダースをほとんどの方、ご存知だと思います。

カーネル・サンダースは、ケンタッキー・フライド・チキンの創業者です。

立った姿の像が長年にわたって店のシンボルになってきました。最近では、目線を子供の高さに合わせることで、より親しまれることを目指す為に、「座像」を設置されました。今後も、顧客の反応を見ながら設置を拡大する予定だそうです。

人生・仕事に悩んだ時、受験勉強等で大変だと思った時に、カーネル・サンダースの名言によって、乗り越えることが出来るヒントがあるかもしれません。

カーネル・サンダースは、どのような生き方・経緯でケンタッキー・フライド・チキンが
誕生したのか、生涯数々の名言を残してきましたが、その中から良いと感じた言葉を
いくつか挙げてみました。




カーネル・サンダースの生涯

彼は幼いころに父を亡くし、工場で働く母をサポートするために6才で料理を始めたサンダースは、7歳の時には弟妹と母のために焼いたパンが絶賛される程の腕前になっていたといいます。

この時のうれしさ、感動が「おいしいもので人を幸せにしたい」というケンタッキーの理念につながっています。

10歳に農業に出ました。14歳で学校を辞めたサンダースは、青年期にかけて農場の手伝いをはじめ様々な職業を渡り歩き、鉄道の機関車修理工、ボイラー係、機関助手、保線区員、保険外交員、フェリーボート、タイヤのセールスなど40種に上る職を転々としました。

最初に就いた会社はクビにされたりなど、どれも上手くいかず才能が無い人として見られていたのです。

30代後半にはケンタッキー州ニコラスビルの車の通りが多い高速道路の入り口付近にガソリンスタンドを経営を始めます。

やがて、1930年6月にはガソリンスタンドの一角を改装して、たった6席の小さなレストラン「サンダース・カフェ」を開きます。

サンダースさんの名言となる「できることはすべてやれ」「やるなら最善を尽くせ」の2つの揺るぎない信念で、ガソリンスタンドの支配人、調理係、レジ係の全てを担当していたそうです。

そんな矢先、サンダースの20歳を迎える息子が病気で亡くなりました。サンダースは、悲しみの中、鬱状態で経営を行っていました。

サンダースのレストラン「サンダース・カフェ」は、そのサービスと味の良さ、立地条件(高速道路付近)が良かった事から、お店は大繁盛しました。

1935年、45歳のサンダースは、ケンタッキー州の知事から「ケンタッキー・カーネル」の称号を授かりました。

カーネル・サンダースと親しまれるようになり、サンダース・カフェの席の数を140に増やし、成功の道を突き進んでいくと思われました。

しかし、お店に火災が発生し、全て燃えてしまい、無くなってしまったのです。

これからどうしようと考えたサンダースは、再び、お店を始めますが、高速道路の工事により、入り口が変更になり、車が大幅に少なくなり、経営が続けられず、借金が残り、お店を閉める事になりました。

サンダースが65歳になり、財産として残ったのが、車と毎月105ドルの年金です。

少ない年金で何がビジネスを起こせないかと考えた結果、チキンのレシピを教えて、チキンが1個売れれば5セントを貰うという行動に出ました。その当時、世界初のフランチャイズビジネスを行うと決めたのです。

サンダースは、105ドルを車のガソリン代金に使用し、車1台で全米中を走り回り、レストランの厨房などでフライドチキンのレシピを実演してFC契約取る営業を行いました。

70近いおじいさんの話をまともに聞いてもらえず、3年近くもの間、車の中で寝泊まりし翌朝も営業を行う毎日を送り、1009回「NO」と断られました。

1010件目で、レシピを受け入れる店が現れて、サンダースの諦めない気持ちが強く結ぶことができました。

その後も、営業を進めて、1960年に400店、1964年までに600店を超えるフランチャイズ契約店を築き上げることに成功しました。

瞬く間に、サンダースのチキンは全米に広がり、最初に「YES」を言っていたピート・ハーマン氏よって提案されて、ケンタッキー・フライド・チキンというブランドが確立しました。

1970年日本に上陸(日本の事を大好きだと公言した)

1980年12月16日急性白血病を発症し、肺炎を併発して12月16日に逝去

2016年日本では、クリスマス時期に行列ができ、3日で60億売り上げるとても知名度の高いお店に急成長しました。




生涯から出た名言

  • 私がやったことなど、誰にもできる事だ。ポイントはただ一つ。心から『やろう』と思ったかどうかである。心が思わないことは、絶対に実現できない。
  • 私にはたった二つのルールしかなかった。できることはすべてやれ。やるなら最善を尽くせ。これが何かを達成する感覚をつかむ唯一の方法だ。
  • 走るのを止めた人間は、そこから一気に坂を転げ落ちるものだ。
  • 何歳であろうと、根性があって、やる気と信念があるならば大丈夫。それがすべてにおいて最も大きな要素です。
  • 掲げた目的に向かって正直であり、心から他人に尽くし、きちんとした商品を売っているなら、すでにあなたは “進み続ける価値のあるもの” を築き上げているのです。
  • 人は、自分が “やれる” と思うか “やりたい” と思う分だけ前進できる。
  • 諦めて失速しない限り、じつはまったく新しい人生をそこから築くことが可能なのです。
  • あなたは本当に老いていくのではありません。自分が老いたと感じた分だけ、思い込んだ分だけ歳を取るのです。あなた自身が “歳を取った” と思わない限り、いくつになってもやれる仕事はたくさんあるのです。
  • 何を始めるにしても、ゼロからのスタートではない。失敗や無駄だと思われたことなどを含め、今までの人生で学んできたことを、決して低く評価する必要は無い。
  • 人は「できる」とか、「したい」と思う分だけ実現できるものだ。

まとめ

カーネル・サンダースは、40種の仕事の経験、息子の死、火事、営業周りの厳しい経験から
名言にある「できることはすべてやれ」「やるなら最善を尽くせ」何歳であろうと、
根性があって、やる気と信念があるならば人生は乗り越えられると証明ができた
サクセスストーリーでした。

何歳から、何を始める事にしてもカーネル・サンダースの名言を自分自身の気持ちを高めて、
取り組む事は大事だと感じました。

昔ながらの取り組み方ではあるかもしれませんが、根本的な考えの一つの選択肢として、
行動にするのはありだと思います。